
自動車電話事業に新規参入したIDOの変遷
IDOは、日本移動通信株式会社が開発した携帯電話端末・カーフォンです。製造元の社名の略称が端末の名称となっています。新規参入グループの募集・調整が行われた際に当時の郵政省の判断で営業エリアが決定しました。
サービス提供エリアは関東・東海地方に山梨県と長野県を含めた1都12県のみです。会社の主体であるトヨタ自動車の強みを生かして、1988年12月にアナログ自動車電話サービスを開始しています。サービス開始当初は、加入者の増加と利用可能エリアの拡大に柔軟に対応するべく、周波数の利用効率が大きいNTT大容量方式を採用していました。1992年12月からはIDOとDDIセルラーの互換性を考慮した通信方式へと切り替えています。
クルマでの移動の最中でも気軽に通信できるツールとして富裕層の人々から絶大な支持を得て、1900年代末期はIDOを搭載しているハイヤーを所有することが成功者の証となっていました。しかし、高品質な通信を可能とする携帯電話の開発に伴って自動車電話事業は縮小し、1999年にリリースされたC005NASが最後のカーフォンです。
運転しながら電話を掛ける行為は道路交通法で禁止されたことも縮小の一因となっています。2007年7月にブランド名がauへと変更しましたが、IDOの販売を通じて培われた戦略やサービスは健在です。顧客満足度を重視したサービスの提供を推進し、iphoneの利用者数の増大へと繋げています。
日本の通信事業に起こした革命
京セラと第二電電が主体となって誕生したDDIセルラーグループは、1985年の通信自由化政策に伴って新規参入を果たした第一陣です。NTTが電話事業を独占していた状況から一変し、複数の事業者が台頭して質の高いサービスを追求するきっかけを作りました。
IDOと共に通信事業に参入したため、一部の家電量販店ではDDIセルラー・IDOグループの愛称で親しまれていました。最大規模のシェアを誇るNTTへの対抗策を練り、各地の電力会社の出資を元手に8つの地域に子会社を創設しています。他グループとの差別化を図るべく、端末売り切り制度の導入や価格競争にも積極的に取り組んでいました。
au・KDDIブランドの基礎だけでなく、新たに参入した事業者が成功するためのプロセスを築いた第一人者です。1995年頃より加入者数が減少傾向を辿っていたことから、2000年にIDOやKDDと合併してKDDIを発足させて再起を図っています。
KDDIは良心的な価格帯でスマートフォンを提供するブランドとしてのイメージが定着しており、ユーザー数が着実に増加中です。更に、iphone・iPadの発売や電力事業にいち早く着手し、注目を集めています。また、ユニークなCMの作成によって、iphoneを始めとする各種商品・サービスのPRに成功しています。